幸せ度数

 先日の話を受けて、「幸せ度数」のことを考えていた。大人は経済活動に、子どもは受験で忙しい日本人は、幸せ度数が低いと言われている。確かにそうかもしれない、けれどそうでもない。こんな日本でも、気持ちの持ち方次第で、「幸せ感」は得られるはずだ。現に私は幸せだもん。
 「幸せ度数」が高い人たちはきっと、欲のない、「足るを知る」人たちなんだろう。けれど、そんな生活の中から芸術は生まれるだろうか?日々のなんでもない暮らしに幸せを感じ、満たされて生きることは、人類最高の幸せな生き方なんだろうと思う。でも人生の苦悩の中からこそ、多くの芸術は生まれてきた。ショパンベートーヴェンの音楽も、ピカソゲルニカも、チャップリンの映画も、彼らの苦悩がなければ生まれてこなかっただろう。
 私も幸せといえば幸せだ。けれど、例えば東北の被災者の人たちのことを考えるだけで、本当の幸せは遠ざかっていく。同じ日本でこんなことが起こっていることを考えたら、幸せなんて言えない。宮沢賢治が言ったように、「人類全体が幸せにならなければ個人の幸せはありえない。」
 結論はでないけれど、いろいろ考えてしまった。